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Cyber-shotで撮影してみました
昨日に引き続きコンパクトデジカメの写真をアップします。
まず、ソニーのCyber-shot DSC-WX5にはプレミアムおまかせモードというものがあります。
これは1枚の写真を撮るために数枚連写してくれ、最適な1枚に合成するという機能。

写真1:逆光で撮れにくい写真も簡単に取れます。

写真2:夕陽でもこのように。
特に逆光などの条件の悪い時はフラッシュをたいて撮影したほうがよいのですが、このカメラはフラッシュをたいたときとたいてない状態での写真をそれぞれ撮影して組み合わせるようです。 続きを読む
まず、ソニーのCyber-shot DSC-WX5にはプレミアムおまかせモードというものがあります。
これは1枚の写真を撮るために数枚連写してくれ、最適な1枚に合成するという機能。

写真1:逆光で撮れにくい写真も簡単に取れます。

写真2:夕陽でもこのように。
特に逆光などの条件の悪い時はフラッシュをたいて撮影したほうがよいのですが、このカメラはフラッシュをたいたときとたいてない状態での写真をそれぞれ撮影して組み合わせるようです。 続きを読む
田代有三
今や、サッカー日本代表にも選出されるようになった鹿島アントラーズ所属のFW田代有三選手。
サガン鳥栖サポーターなら記憶に新しいと思うが、2004年シーズンには福岡大学所属ながら、指定強化選手としてサガン鳥栖の一員として試合に出ていた。
あの当時から、彼の身体能力の高さ、技術は他のサガン鳥栖選手とは比べ物にならないくらい高かった気がする。大学卒業後は、夢である代表入りに一番近いチームということで鹿島アントラーズを選んだが、その当時のアントラーズのFW陣は選手層も厚く、そうそう試合に出れるような環境ではなかったと思うが、2年目からはしっかりレギュラーとして試合に出るようになっていた。そして、最近は代表にも選ばれるようになり、まさかここまで有名になろうとは・・・いや、ぜったい将来は代表入りするはずだからと、サガン鳥栖所属時に記念撮影しておりました(笑)
一言二言は喋りましたが、とっても好青年でした。頑張れ、田代有三!

右が田代有三選手。左が私・・・かなり太ってたなー(笑)
サガン鳥栖サポーターなら記憶に新しいと思うが、2004年シーズンには福岡大学所属ながら、指定強化選手としてサガン鳥栖の一員として試合に出ていた。
あの当時から、彼の身体能力の高さ、技術は他のサガン鳥栖選手とは比べ物にならないくらい高かった気がする。大学卒業後は、夢である代表入りに一番近いチームということで鹿島アントラーズを選んだが、その当時のアントラーズのFW陣は選手層も厚く、そうそう試合に出れるような環境ではなかったと思うが、2年目からはしっかりレギュラーとして試合に出るようになっていた。そして、最近は代表にも選ばれるようになり、まさかここまで有名になろうとは・・・いや、ぜったい将来は代表入りするはずだからと、サガン鳥栖所属時に記念撮影しておりました(笑)
一言二言は喋りましたが、とっても好青年でした。頑張れ、田代有三!

右が田代有三選手。左が私・・・かなり太ってたなー(笑)
2006年ドイツワールドカップ
本日紹介するのは、2006年6月22日、ドイツのドルトムントで行われた日本対ブラジルの試合での1枚です。

日本が強豪ブラジル相手に先制したシーン。先発したFW玉田圭司(現:名古屋グランパス)が鮮やかに得点を決める。
2006年のドイツ大会。サッカー馬鹿の私達夫婦は、とうとうワールドカップ観戦まで夢を見ておりました。
しかし、チケットをとろうにも抽選ですし、しかも、自分たちが思い立ったのは2次抽選が終わった後。ほとんどチケットが入るか分からない状況で、確かドイツ語?で書かれたページにアクセスして、チケットを手に入れようとしてました。日本戦なんて絶対手に入らんだろうなと諦めており、どんな試合でも良いからワールドカップを見に行こう!という感じでした。
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日本が強豪ブラジル相手に先制したシーン。先発したFW玉田圭司(現:名古屋グランパス)が鮮やかに得点を決める。
2006年のドイツ大会。サッカー馬鹿の私達夫婦は、とうとうワールドカップ観戦まで夢を見ておりました。
しかし、チケットをとろうにも抽選ですし、しかも、自分たちが思い立ったのは2次抽選が終わった後。ほとんどチケットが入るか分からない状況で、確かドイツ語?で書かれたページにアクセスして、チケットを手に入れようとしてました。日本戦なんて絶対手に入らんだろうなと諦めており、どんな試合でも良いからワールドカップを見に行こう!という感じでした。
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2004年9月19日 仙台スタジアムにて
このエントリでも紹介したが、私達夫婦がサガン鳥栖を応援するようになった2004年、初めてアウェーに乗り込んだ(福岡での試合は除いてます)のが、仙台スタジアムだった(現ユアテックススタジアム仙台)。
アウェーでの勝手を知らない私達は、熱狂的なサポーターが多いことで知られる仙台なだけに、鳥栖のレプユニを着たままメインやバックに座ることを恐れ、ビジター自由席にて観戦。その場所はサガン鳥栖サポーターが声をあげて応援するゴール裏である。
今はそうでもないが、当時の鳥栖の試合はホーム試合でも平均3000人はいるかどうかの低人気。ゴール裏サポーターの人数も極めて少なく、それを見かねた私はたびたびゴール裏で声をあげて応援していた。
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アウェーでの勝手を知らない私達は、熱狂的なサポーターが多いことで知られる仙台なだけに、鳥栖のレプユニを着たままメインやバックに座ることを恐れ、ビジター自由席にて観戦。その場所はサガン鳥栖サポーターが声をあげて応援するゴール裏である。
今はそうでもないが、当時の鳥栖の試合はホーム試合でも平均3000人はいるかどうかの低人気。ゴール裏サポーターの人数も極めて少なく、それを見かねた私はたびたびゴール裏で声をあげて応援していた。
